人生 喜怒哀楽

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白拍子の祇王は近江国(滋賀県)の生まれ。野洲江辺庄の庄司の父が北陸へ流されたことで母・刀自(とじ)に連れられて、妹・祇女(ぎにょ)とともに京へ出て白拍子の生活を始めた。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…、で始まる

平家物語の巻第一「祇王」で語られる悲しいお話!ガーン(

最初に白拍子(しらびょうし)とは‥

 平安時代後期に流行した歌舞の一つ。

それを歌い舞うことを職業とする物腰柔らかな

 

舞をみせる女性を含めて白拍子

 言う いわいる芸能巫女。

  

本文

白拍子祇王近江国滋賀県)の生まれ。野洲江辺庄の庄司の父が北陸へ流されたことで母・刀自(とじ)に連れられて、妹・祇女(ぎにょ)とともに京へ出て白拍子の生活を始めた。都へ出て来た祇王の歌と舞いの見事さは、たちまち評判となり、当時の最高権力者である平清盛の知るところとなる。ある日、清盛に呼ばれた祇王は御前で舞うこととなる。清盛は、祇王の見事で気品のある舞い、そして何よりもその美貌に心を奪われ、直ちに自分の別荘・西八条殿に住まわせ寵愛(ちょうあい)したのである。

 

 清盛の寵愛を得た祇王は、母や妹の面倒までもみてもらい何不自由の無い生活が始まる。そこへ現われ出たのが加賀国(石川県)から出てきた16歳の仏御前という名の白拍子。仏御前の舞いも見事なもので評判となり、その自信からか仏御前は清盛の屋敷へ行き、舞をお目にかけたい申し出る。祇王を寵愛していた清盛は「祇王より上手い白拍子がいるはずも無い」と門前払い。それを見ていた優しい祇王は、仏御前を不憫に思い「一度だけでも…」ととりなしたのである。寵している祇王の申し出に、清盛も仕方なく仏御前の舞いを観ることにした。 最初はイヤイヤ見ていた清盛も、見事な歌と艶やかな舞いにたちまち心を奪われ、昨日までの祇王への寵愛はどこえやら、心は仏御前に移ってしまい、祇王を屋敷から出ていくように言い出す始末。仏御前は、それは本意ではない「舞いをお見せしたかっただけ、自分が帰る」と願い出たが聞き入れられることではなかった。あろうことか清盛は、「仏よ、祇王に遠慮するな。お前がそのように言うのは、祇王がいるからだな」と祇王を屋敷から追い出してしまった。祇王は、あまりにも突然の清盛の心替わりに驚き、涙ながら屋敷を出てという。

 

 その後も清盛は無神経さを発揮している。ある日、祇王の家へ清盛の使者が訪れ「仏が退屈しているので参上して慰めてほしい」という。祇王には行く気もないので断ろうとしたが、母に諭されてやむなく参上し舞うこととなる。元々、祇王に気のない清盛は、一舞いすると帰してしまう。この清盛の無神経さ、悔しさ、悲しさに祇王は自害しようとするが母の必死の説得で自害は断念するも、世を捨て仏門に入るのである。この時、妹・祇女そして母・自刀も髪を剃り、三人で嵯峨の山里にあった小さな庵(今の祇王寺)で念仏三昧の静かな暮しに入るのである。

 

 時が経ち、秋のある夜のこと。祇王らが住む庵の表戸を叩く者がいた。恐る恐る表戸を少し開け、隙間から覗くと、そこには白い衣で覆った仏御前の姿があった。仏御前は涙ながらに「もともとは、舞いを認めてもらいたい一心で清盛様の前で舞ったもの。心ならずも祇王様を追い出しことになり、悔やまれます」と、切々と自分のとった愚かな行為を憂いた話をした後、覆っていた白衣を脱ぎ捨てる。そこには髪を剃った仏御前。仏道に入ろうと決意してやって来たのである。この姿をみた祇王は、まだ17歳の若さで現世を捨て、往生を願うは真の大道心と快く庵へ迎え入れ、その後、朝晩の念仏を欠かさず過ごした4尼は往生したと書かれている。 from平家物語